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パソコンの歴史リンク集

ちょっと息抜き

日本におけるパーソナルコンピュータ(パソコン)は、その黎明期においては主に米国からの輸入品とその互換機によって占められていたが、次第に独自アーキテクチャの製品を製造・販売するようになり、発展途上の処理能力に乏しい時期には日本語処置に独自の漢字表示機構を必要とするなどした事情から一時代を築いた。しかし、処理能力の向上により漢字表示もソフトウェアにて実現することが可能となったため、現在ではWindowsおよびPC/AT互換機(いわゆるDOS/V機)の組み合わせが普及するに至った。

リフレッシュ

アップルコンピュータを興したスティーブ・ジョブズが1976年に、ガレージで製造したワンボードマイコンのApple I(スティーブ・ウォズニアックによる設計)を販売、ごく少数販売するに留まったが、翌年発売したApple IIは大成功を収め、同社の基礎を作るとともにパーソナルコンピュータの普及を促した。これは整数型BASICインタプリタをROMで搭載し、キーボードを一体化、カラービデオディスプレイ出力機能を内蔵したもので、今日のパーソナルコンピュータの基本的な構成を満たしている。Apple II はオープンアーキテクチャであったため、多くの互換機をも生み出すこととなり、同時にシェアも奪われることにつながった。後に互換機メーカーへの警告や提訴を行ったが、互換機メーカーが無くなることはなかった。

無限大の可能性

一方、アップルが1980年5月に満を持して投入したApple III (Apple3) はApple IIとの互換性が完全ではなかった上に品質上の問題も抱え、市場で受け入れられることなく失敗する。Apple III に見切りをつけたアップルは、GUI (GUI) とマルチタスクを備えたLisaを 1983年に発売し注目を集めるが、これも高価すぎて営業的には失敗に終わる。その後、より安価なMacintoshを1984年に発売するとようやく一定の成功を収めたものの、Apple IIで互換機メーカーにシェアを奪われる苦渋をなめたことからクローズドアーキテクチャであったために、互換機市場は育たず、また、その時点で既にPC/AT互換機が業界標準となりつつあった。(wikipedia参照)